漢方は古典が大切

 日本の医学として発展を続けていた漢方は、明治時代にほとんど途絶えてしまいました。古典
 一部の漢方薬と、漢方の基本的な考え方だけが、極めてわずかな人々に受け継がれましたが、長年の歴史の中で蓄積された知識と技の多くは、残念ながら埋もれてしまいました。それらの知識は、容易に取り戻せるものではありません。
 ですから、最近になって漢方が見直されたといっても、漢方薬が本来の使われ方をされることは少なく、漢方の真の効果を簡単に取り戻せているわけではないのです。
 古典には漢方が盛んだった頃に使われていた数多くの処方と、漢方薬をよく効かせるためのヒントが詰まっています。当時の名医が、経験に基づいて書き残した知識を見ることができるのです。古典は、漢方の技を当帰芍薬散の煎剤磨いて漢方薬本来の効果を再現するための知識の宝庫です。
 西洋医学一辺倒の現代で全く異質の漢方を学び、漢方薬の使い方に習熟していくには古典が重要な手がかりになるでしょう。
 ここでは、女性によく使われる当帰芍薬散(とうきしゃくやくさん)という漢方薬を例に、古典とのつながりの一端を知っていただきたいと思います。

「金匱要略(きんきようりゃく)
「婦人大全良(ふじんたいぜんりょうほう)
「方読弁解(ほうどくべんかい)
「方輿輗(ほうよげい)
「勿誤薬室方函口訣(ふつごやくしつほうかんくけつ)

「金匱要略(きんきようりゃく)

 当帰芍薬散は「金匱要略」という古典が出典です。
当帰芍薬散「金匱要略」 「金匱要略」は中国の後漢の時代、210年頃に著された著された書で、当帰芍薬散については「婦人が妊娠してお腹が引きつるように痛むものによい」とか「婦人のいろいろな腹痛によい」などとの効能が書かれています。
 当帰(とうき)、芍薬(しゃくやく)、川芎(せんきゅう)、茯苓(ぶくりょう)、白朮(びゃくじゅつ)、沢瀉(たくしゃ)、という6種類の 生薬を粉末にしたものを、1日3回、酒に混ぜて飲むというものでした。
 当帰、川芎は体を温めると共に瘀血を去ります。鎮痛作用がある芍薬との組み合わせで腹痛を治し、茯苓、白朮、沢瀉は共に利水作用があり、漢方でいう水毒をさばきます。
 この内容から、瘀血をととのえるとともに水毒を去る作用があるので、ポチャッとした水っぽいタイプの冷え症の女性に適することがわかります。

「婦人大全良方(ふじんたいぜんりょうほう)

 「婦人大全良方」は中国の宋の時代、陳自明(ちんじめい)が著した書です。当帰芍薬散「婦人大全良方」
 陳自明(1190年頃~1270年)は産婦人科を得意とし、宋以前の産婦人科の書を編集し、1237年に本書24巻を著しました。
 この書では、原典の「金匱要略」に記載される剤型とは異なり、煎薬として使うようになりました。処方名も当帰芍薬湯となっており、「(産後の出血、月経の出血、不正出血などの)出血過多でおこるめまいを治す」という効能が加えられています。

「方読弁解(ほうどくべんかい)

 江戸時代の書「方読弁解(ほうどくべんかい)」には、「(当帰芍薬散が適応する)㽲痛(こうつう)は、綿々として絶えず痛むことをいう。・・・」と書いてあります。当帰芍薬散「方読弁解」㽲痛は通常、「ひきつれるように痛い」、「ひっぱられるように痛い」と理解されていますが、「綿々として絶えず痛む」という症状があることがわかります。
 このような細かい記述が、漢方薬の応用に大きな参考になることがあるのです。
 なお著者の福井楓亭(ふくいふうてい・1725年~1792年)は、京都で創業のはじめに薬種商(江戸時代の薬屋)と呉服商を呼んで、「薬は医療の根幹であり、人命に関するところであるから、いつも上等のものを持参するように、二級品以下を持参するな。値の安い薬を使うと、いやしい心が生じて粗薬で効きめがなく、人の命を誤るにいたる。衣服の如きは薬とちがって美麗なものは持参するな。華奢の習を生じ恐らくわが志をそこなうからである」と伝えたという逸話が残っています。

「方輿輗(ほうよげい)

 有持桂里(ありもち けいり・1758年~1835年)の書「方輿輗(ほうよげい)」に、当帰芍薬散[方輿輗]「妊娠の腹痛には速効があってよくやわらげる」、「当帰芍薬散が効く出血過多はそれほどひどくないものだ」、「めまいや出血過多がなくても広く婦人の病気に用いる」、「当帰芍薬散が効くめまいは軽症で、ふらついてのぼせるという症状によい」、「妊娠中に下痢をして腹痛するものや、長い間下痢が続いて腹痛するものにもよく、当帰芍薬散は腹痛を主な使用目標として使う薬だ」などの記載が出てきます。
 さらに、「この薬は、もとは散(散剤)になっているけれども、湯(煎薬)にしたらよく効く」などと、「婦人大全良方」の剤型を支持しています。
 著者の有持桂里(ありもちけいり)は阿波の人で、19歳で京都に上り医学を勉強しました。後に開業して、かたわら弟子を教え、その講義録がこの著です。

「勿誤薬室方函口訣(ふつごやくしつほうかんくけつ)

 浅田宗伯(あさだそうはく・1814年~1894年)が1877年に著した処方集「勿誤薬室方函当帰芍薬散「勿誤薬室方函口訣」(ふつごやくしつほうかん)」の解説書がこの書です。古人の説や自家の経験を記述しています。
 この書では「大筋は婦人の腹中㽲痛を治すことがもとなのだけれども、和血に利水を兼ねる処方故に、建中湯の症に水気を兼ねる者か、逍遥散の症に痛み帯びる者か、いずれにも広く用ゆべし」、「胎児が動いて痛むときにこの処方を使うときは、痛みが甚くして大腹(臍上)にある」などが書かれています。
 浅田宗伯は信州の人で、京都で学んで江戸に上り、将軍家などの診療を多く行うようになりました。明治維新後は皇室の医官として活躍しました。「明治漢方最後の名医」としても知られています。