漢方の歴史

 古代の中国医学の原型は、紀元210年頃に編纂された『傷寒論(しょうかんろん)』においてすでに整っていました。

 中国医学が日本で利用された歴史は古く、大和朝廷が朝鮮(新羅)から良医を招き、天皇の病気を治してもらったこともあります。

 その後も、中国医学は様々な機会に日本に移入されました。特に室町時代になって、金・元時代に体系づけられた李朱学派は、戦国時代から織田・豊臣時代にかけての日本の社会によく適応しました。
 この頃より中国医学は日本に同化され、日本の医学として独自の発展をするようになっていきます。

 江戸時代になると日本の医学としての特徴が顕著になり、ますます発達しました。

 その間に、日本に西洋医学が入り、オランダ医学を蘭方とよんだのに対して、当時の日本の医学を漢方とよんだのが、漢方という言葉のはじまりです。

 漢方は、発達の過程で古方派(こほうは)、後世方派(ごせほうは)、折衷派(せっちゅうは)などの流派があります。中国・後漢の時代の医書「傷寒論(しょうかんろん)」を特に重視するのが古方派(こほうは)、李朱医学(りしゅいがく)を中心として発達した学派を後世派(ごせいは)、双方の長所を取り入れて生まれたのが折衷派(せっちゅうは)です。

 明治時代になると、西洋医学を偏重した政府によって漢方は排斥されました。衰退してしまった漢方は、一時はほとんど途絶えましたが、一部の漢方薬と漢方の基本的な考え方だけは、ごくわずかな人々に受け継がれました。

 そして昭和初期に、一部の医師、薬剤師に注目され、その後の地道な努力の積み重ねで、漢方は再び少しずつ広まっていきました。極めて少数の医師によるもの以外は、薬局や薬店での取り扱いがほとんどでしたが、1976年(昭和51年)に漢方薬の一部に健康保険が適用されてから、医療機関での利用が増え、急速に漢方薬の需要が高まって現在に至っています。

 本家の中国の医学は、文化大革命(1966~1976)によって処方の仕方が大きく変わり、伝統的な中国医学や漢方と大きく異なるものになりました。現在の中国では、これを中医学(ちゅういがく)とよんでいます。

 日本では、漢方と中医学を混同している人が多いようです。