漢方にも流派が?

 江戸時代は漢方の世界にも流派があったという話を耳にしました。どのように分かれていたのですか。また、現在も関係しますか。
(50歳・男性)
 漢方が最も隆盛だった江戸時代、漢方は、後世派、古方派、折衷派などの学派に分かれました。今回はそれを解説してみましょう。
 後世派 中国の医学を基本として日本流に発達したもの。慢性病を含めて広い範囲の病気に効く薬がそろっています。
 古方派 中国、後漢の時代の書「傷寒論(しょうかんろん)」を重視した流派。この古典は熱性病など急性の病気を治す薬を掲載しているため、古方派の薬も急性病対応の処方がほとんどです。
 折衷派 後世派と古方派の両方の長所を取り入れたもの。江戸末期の漢方医の多くが折衷派だったといわれています。寿元堂も折衷派です。
 では、どのような経緯でこれらの流派が生まれたのでしょう。
 まず、飛鳥時代に遣隋使や遣唐使が活躍し、日本に入ってきたのが中国医学。これが漢方の大元になります。そして室町時代には中国から李朱医学が伝わりました。このころから日本では日本の風土に合わせて中国医学を変化させていきます。
 江戸時代に入ると、日本の医学としての特徴が色濃くなりました。李朱医学が日本風にアレンジされ、日本医学の主流となっていましたが、次第に形式論に偏り過ぎて十分な効果を上げられないという問題が出てきたのです。
 それならばと生まれたのが、漢方の原点に帰ろうという古方派です。江戸中期には古方派が現実的に効果を上げたようです。そして古方派が生まれたので、李朱医学を中心とした学派を後世派と呼んで区別したのです。
 しかし、古方派は強力な薬を多く用い過ぎて過激になり、失敗を犯すという短所が目立つようになり、折衷派が生まれました。
 ちなみに、日本に伝わったオランダ医学を「蘭方」と呼び、室町時代から変化してきた日本の医学を「漢方」と呼びました。ですから漢方とは、日本で発達した医学のことなのです。 
 昔の折衷派は、「古方を主にして後世方(後世派の処方)を使う」人が多かったでしょう。しかし、現代は、「後世方を主にして古方を使う」時代だと考えます。なぜなら、急性の病気に対しては西洋医学が優れた力を発揮するので漢方の出番は昔ほど多くはなく、逆に、西洋医学で対応が難しい慢性病に対して、漢方は力を発揮することが多いからです。
 現在では、昭和に漢方が復興する過程で普及した古方派が主流ですが、〝漢方の進化の最終形〟ともいえる折衷派をもっと見直す必要があると考えています。